境内のご案内

 
法隆寺や東大寺など、飛鳥・奈良時代に建立された
初期の寺院は 都の平坦地に建てられました。 

これが、平安時代になると比叡山や高野山などの
山岳地帯に 寺院が建てられてるようになって
寺院に「○○山」という「山号」がつけられ
寺院の門が「山門」と呼ばれるようになりました。

その後、平地に建てられた寺院にも「山号」がつけられ
その門も「山門」と呼ばれるようになりました。 

 幡降山 山門
 

山門の両脇には 恐ろしい顔をして立っておられる仁王さま(金剛力士像) 正しくは執金剛神(しゅうこんごうじん)
 
向かって左側には 口を閉じて「うん」と仰ってる
吽形(うんぎょう)像
この門をくぐろうとする人々を見つめて信仰があるか
ないかを確かめたうえで通ることを許すお役目。



 
向かって右側には 口を開けて「あ」と仰ってる
阿形(あぎょう)像
この門からは一切の魔物は入れないぞ!と
魔物を追い払うお役目。




お二人とも忿怒(ふんぬ)の形相、上半身裸で、片手を前に突き出し
一方に金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる武器を持って、何やらにらみつけておいでです。

阿吽の阿(あ)は、人間が目を開いて発する声の最初といわれ
吽(うん)は目を閉じて発する声の最後といわれており
「阿吽」とは万物の始まりから終わりまでを象徴したものであるとされています。

「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉がありますが、これは二人の人物が
言葉を交わさずとも意思疎通ができて 息がピッタリ合っていることを言います。



六地蔵


山門の左手におられる「六地蔵」さま
 「六地蔵」とは、六体のお地蔵さまが
「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天」の
六つの世界(六道)におられて それぞれの世界で
苦しんでいる人々を救って下さるのです。
 

 参道の桜  (満開は4月上旬頃)



山門をくぐると目の前には 本堂へと続く参道と石段がのびています。
石段を登り切ると、大空を背に大きなお大師さん



空海/弘法大師(お大師さん)

 

 
弘法大師は 774年 讃岐の国(香川県善通寺)で生まれ
幼少時の名前は「真魚(まお)」と言いました。
 
子供の頃は、粘土で仏像を作る遊びが好きでしたが
勉強もよく出来、大変賢い子で18歳で奈良の大学に入学します。

その後、大学の勉強だけでは足らず
自分から進んで数多くの修行と学問を学んでいきます。
この頃から空海(くうかい)と名乗るようになりました。

804年に中国に留学し、たった2年で真言宗の元となる
教えの全てを学び日本に戻った弘法大師は
その実力を時の天皇にも認められるほど大出世をしていき
真言宗の教えをわかりやすく広めていきます。

さらに、日本で初めて身分や貧富に関わりなく学ぶことのできる
教育施設として綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という
大学を作りそれまでの教育のありかたを変えていきました。 

弘法大師の学んだ内容には、真言宗の教えだけでなく 土木関連の技術等もありました。
日本各地に弘法大師ゆかりの温泉があります。 弘法大師が持っている杖を地面につくとそこからお湯が湧き出た!
という伝説が各地に残されていますが弘法大師が、土木技術にすぐれていたことも大いに関係しているのかも知れません。

  

 
本堂の前縁に赤いお顔をしてお座りに
なっているのが「おびんずる様」です。

  おびんずる様は、お釈迦様のお弟子(十六羅漢)の一人で
神通力にすぐれており 毎日熱心に修行に励んでいましたが
困ったことにお酒が大好きで 修行のあいまに
お釈迦さまに隠れては こっそりお酒を飲んでおりました。

 しかし、ある日、お釈迦様にお酒を飲んでいることが
バレてしまい怒られ、涅槃(ねはん)を許されず
お釈迦様の滅後も衆生を救い続けるとされています。


赤いお顔は、お酒を飲んでいるせいでしょうか?
お釈迦様に怒られて赤面しているのでしょうか? 

どちらにしても、神通力にすぐれたおびんずる様は
俗に「撫で仏(なでぼとけ)」とも言われ
自分の身体の悪いところと おびんずるさまの同じところを
交互に撫でるとよくなる!と言われています。


お賓頭盧さま 《おびんずるさま》
別名:撫で仏(なでぼとけ)




どうぞ しっかり撫でてお参り下さい。 

 

 


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